アオイホノオと佐藤優

不思議な取り合わせと思うかもしれませんが、専門職を目指すことで有利な人生戦略を考える、と言う点では、佐藤優と焔モユルは似ているのかもしれません。

 

資本論」の考え方、特に労働価値説に基づいて考えるのならば「働く以上、時間給換算をして一円でも高い報酬を得たほうが良い」というのは、当然のことです。

佐藤優の見解では、勝間和代や安藤美冬の薦めている、高いスキルを持つ「高度専門職」(マルクスの語で言えば「熟練工」)になれば、

「簡単には自分の代わりになる人間が見つからないので、首にはなりにくい」

「自分の仕事は、誰にでも出来ると言うわけではないので、時間当たりの報酬が高い」

のふたつの理由で、高度資本主義社会を生き抜く戦略として正しい、との事です。

 

焔モユルが、ドラマの方では矢鱈暑いだけで、暑苦しすぎる若者のように描かれていますが、原作版では、漫画家になるため、かなり戦略的に事を進めています。詳しくは、原作漫画の他、岡田斗司夫ブログ等も参考になります。

岡田斗司夫なう。

 

アオイホノオと「ゆるい就職」

トピック「ゆるい就職」について

アオイホノオが終わりました。最終回で漫画家になったモユルの姿を見れば労働量と労働者の「分配」の関係に気づくか、と思います。この場合マクロに考えて一つの社会共同体=経済圏・商圏の中での「労働量の総和」を数百万人いる「総労働者」でどのように、「分配」するのか、と考えてください。モユルの職業、漫画家で言えば、10%の売れている漫画家が、90%の漫画執筆の仕事を担当するので、「キツイ仕事」をすることになります。で、残り90%の漫画家が、残り10%の仕事を取り合って、なんとか「食うや食わずの仕事と収入」を得ることになります。

 

これは、社会全体にも当てはまり、20対80のパレートの法則で考えてもいいでしょう。20%の大企業サラリーマンがサービス残業をこなしながら、高い収入を得ている。つまり、仕事量と収入の点では、全体の80%くらいのパイの取り分を分け合っている。80%のそのほかの人たちが、少ない収入で残り20%のパイを分け合っている。前者は「キツイ働き方」、後者は「ユルイ働き方」です。

 

中間はないのか、というと、いわゆるニッチマーケットを自分で探すしかないわけです。漫画家に例えると、ホラー専門誌に連載を持って、月間32ページくらいを描き、収入は印税含めて、年収350万円から400万円くらい。アシスタントは雇えないので自分で描いている。キツイとユルイの中間くらいの漫画家です。しかし、ニッチマーケットは、その絶対数が少ないので「早い者勝ち」の世界で、同時に実力至上主義です。これはこれで「別の意味で」キツイかもしれません。

要するに

1.キツイ・・・メジャー(高収入だが、仕事量が多くキツイ)

2.ユルイ・・・マイナー(仕事量が少なくユルイけど、貧乏)

3.ニッチ・・・一部のジャンルに特化する(収入も仕事量もまあまあだが、マーケットを見つけるためには、常にアンテナを張っていなくてはならない。また、マーケット自体の寿命も短めである)

こんなところですか。

 

このテーマについては、また書くかもしれません。

 

 

斜め上から

今週のお題「憧れの人」目線が好きでした。憧れていました。こんなおれにも

斜め上から目線45度のあの人に、憧れていました。当時まだ滝川クリステルとか

は、多分女子高生かなんかで、おれはチューニでした。何とか憧れの人に声を

掛けて付き合ってもらうことが出来ました。初めてのデートはテーマパークの

観覧車でした。憧れの人は、斜め上からセカイを見下ろしていました。それは

もう、これでもか、と言うくらい見下ろしていました。余りにも見下ろしていたので

見下されたとカン違いしたセカイは、おれの憧れの人を犬にしてしまいました。

おれは、仕方なくその犬を連れて家に帰りました。自分で餌をやる、だの、散歩に

毎日つれてく、だの、まあ親と揉めたりしたのはありがちな話なので、とばします

が、おれは元憧れの人だった犬を飼う事になりました。しかし、三日目にどこかの

雄犬とぷいと家を出て行ったまま、音沙汰もありません。本当に「女心と・・・」

と言うやつです。チューニのおれは少し大人になりました。

 

以上、今週のお題「秋を感じるとき」でした。いい加減あきてます。正直言って。